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2016/1/25 UPDATE

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「スキル・交渉・リスクヘッジ」――平成生まれ敏腕CTOのキャリアパスから考える、これからのプログラマの生き残り方

100mを9秒台で走ることに、生涯を捧げるアスリートがいる。0.01秒を縮めるための努力を否定する者はいないだろう。しかし、勝負の仕方は本来ひとつだけではない。100mで通用しなかった才能は、もしかしたら400mで、あるいはやり投げでこそ開花したかもしれない。そう、私たちは勝負するフィールド、時間を費やす対象を見極める力が必要なのだ。今回お話を伺った株式会社ユニプロ取締役の堀内暢之氏は、大学生の頃から“勝負するフィールド”を意識してきたフロントランナーである。

堀内氏は、大学在学中にプログラミングのアルバイトを始め、100を超えるプロジェクトの開発を担当した。その後、アルバイト先の事業部が親会社から独立して子会社化し、22歳で同社の取締役兼CTOに就任。現在は自身も現場作業をしながら、30人規模になった同社の経営までも担っている。

堀内氏のキャリアは、同年代の一般的な理系大学出身者とは大きく差別化されている。プログラミングという日進月歩の領域で、独自路線を歩むことに不安はないのだろうか。学生時代に圧倒的な“手に職”をつけ、孤高のキャリアを歩んできた堀内氏が考える、プログラマの生き残り戦略とは————。


[ PROFILE ]

堀内暢之(ほりうち・のぶゆき)
1989年、京都府生まれ。東京大学工学部卒。在学中から数多くの開発プロジェクトを手掛ける。スマートフォンのネイティブアプリやWebサービスなどのフロントエンドから、データベース・サーバーインフラ構築、API開発などのバックエンドまで対応するプログラマ。IT系の請負やコンサルティング、遺伝子解析事業を手がける株式会社ユニーク取締役、及びその子会社である株式会社ユニプロ取締役兼CTOを務める。


子どもの頃からExcelでテトリスをプログラミング

圧倒的な実力と実績を持ちながら、ブログによる情報発信やイベントなどの登壇などをほとんどしない堀内氏。CTOを務める株式会社ユニプロはどのような会社で、同氏はどのような仕事をしているのか。

「ユニプロではコンシューマー向けアプリの請負制作や、ソーシャルゲームのインフラ面での運用をしています。弊社はひと言で言えば“請負の開発会社”ですが、発注していただく領域はスマートフォンアプリやWebサービスの請負制作、ITコンサルティング、フルスクラッチの研究開発などと幅広いです。あまり名前を出さないのは……単純に目立つことに興味がないからですかね(笑)」

堀内氏がマネジメントしているユニプロは、小代義行氏が代表を務める株式会社ユニークのグループ会社である。ユニークは「次世代のリーダーを育成すること」を企業理念に掲げており、学生や若手社員に積極的にチャンスを与えているそうだ。堀内氏は大学1年生の時、プログラマのアルバイトとしてユニークの開発部門に所属し、与えられたチャンスに社会人顔負けの技術力で応えていった。開発部門は順調に業績を伸ばし、同氏の在学中に子会社ユニプロとして独立する運びとなった。

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現在はCTOとしてユニプロを率いる堀内氏だが、意外にも「プログラミングを仕事にするつもりはなかった」と話す。多彩なスキルセットを持つ売れっ子プログラマは、どのようなきっかけでプログラミングを始めたのか。

「もともと趣味がプログラミングでした。きっかけは子どもの頃に、親のパソコンにインストールされていたExcelをいじったことです。VBA(Microsoftの拡張機能)でプログラミングをして、Excelで動くテトリスのようなゲームを作っていました。当時は将来の職業選択のひとつとしてプログラマがあっただけで、プログラマになりたいと思っていたわけではありません。理系分野であればなんでもプログラミングは関係しますから」

ここから感じられたのは、幼少期から自分を客観視することに長けた堀内氏の“リスクヘッジ”のマインドだ。「早期に視野を狭めないように」という意識を持つ同氏の姿勢は、大学の選択にも垣間見える。

「もともと京都の出身なのですが、京大は入試のタイミングで専攻を選ぶシステムだったので、それだとつまらないというか……途中で飽きてしまったらどうしようと思って。だから、入学してから専攻を選ぶまでのモラトリアム期間が長い東大に行こうと思ったんです。電子情報学科に進んだ理由はあまり褒められたものではなく、入るための底点がそれなりに低かったから(笑)。発電所からPCまで、電子と情報に関わるすべてを研究対象にする学科だったので、学べる内容が幅広くて楽しかったですね」

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当時の堀内氏の研究テーマは「CDL(計算技術言語)のグラフ検索の高速化」。研究室の先輩ドクターが「CDQL」という独自クエリを定義していて、堀内氏は卒業までにその検索速度を1万倍も速くするという成果を残した。しかし、同氏は修士過程に進もうとはしなかった。その理由はなんと「論文を執筆するのが苦手だから」。「自分には研究は向かないと早々に諦めました」と笑う堀内氏は、既存の枠組みに囚われない柔軟な思考を持っている。

「大学時代は部活やアルバイトなど、好きなことばかりしていました。そのアルバイトとして入社したのが、ユニプロの親会社のユニークです。部活の先輩に声をかけられて入社して、初めのうちは自社が経営する私塾の勤怠管理や給与計算システムなどの開発を手がけていました。そこから徐々に、クライアントワークにシフトしてきましたね」

成功の秘訣は「自分のせいだと思わないこと、できないことをやらないこと」

在学中にユニプロの取締役となっていた堀内氏は、卒業後もそのまま同社に残った。この時点で、ユニプロの正社員は実質自分だけ。就活期にはさまざまな優良企業から声がかかっていた中で、立ち上げたばかりのベンチャーに残るという選択はリスキーにも思える。その決断の理由も、堀内氏は「リスクヘッジの結果だ」と語る。

「就職した後どうなるかはその人次第ですし、学生の時点で会社の未来を予想するのは難しいと思います。いずれにせよ、考えるべきことは“リスクヘッジ”です。例えば、新卒でマッキンゼーのようなコンサルティング・ファームに行くのは大正解で、ある程度キャリアを積んだら転職もできるし、独立もできる。就職も起業も自由に決めればいい……ただし、今やどんな会社でも5年後や10年後にどうなっているか分からない時代です。僕は『誰かに守られるのではなく、自分の力で生きていけるようにする必要がある』と判断し、その力を養うためにユニプロに残る決断をしました。
普通に就職した場合、若手社員にはあまり大きな裁量のある仕事が回ってきません。ユニプロなら自由にやりたい仕事をさせてもらえるし、自分で取ってくることもできます。自分がユニプロに残ることで自然とスケールしていく見通しもありましたし、将来的にユニプロがうまくいかなくなっても、どこかに拾ってもらえるだけの実績やスキルを持っている自負もありました。独立しなかったのは、1人でできることは限られていると思ったから。組織でできることを可能な限り最大化していく方が、社会全体によりプラスの影響を与えられるんじゃないかって」

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経営者としては若手である堀内氏だが、ユニプロの業績は順調に伸びている。その秘訣を聞くと、堀内氏は次のように答えた。

「現場で意識しているのは、“落ち込まないこと”です。どんな仕事でも全力を尽くしますし、成功しても失敗してもプロジェクトの振り返りは必ずやります。ただ、うまくいかなかった時になるべく『自分だけのせいだとは思わない』ようにしてるんです。作品と作者を切り離すような……“罪を憎んで人を憎まず”という感覚にも似ていると思っています。
クライアントの利益に責任を持ってコミットするのは当然ですが、大きい案件になればなるほど、すべてを自分事で考えようとすると抱えきれません。だから、気持ちの上では“1000万円くらいコカしたからなんなの?”って思うようにしているんです。いや、実際にコカしたことはありませんよ(笑)。そうやって自分と仕事を切り離して考えることで精神的なバランスを取り、1つの失敗が他の案件に悪影響を及ぼさないように心がけています。幸い、業界的に『新規プロジェクトの7割が失敗する』と言われる中で、僕が担当する場合は7割以上が成功していますが、それは失敗を引きずらずにPDCAサイクルを回し続けられている結果かなと」

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そう話した後で、堀内氏は「そもそもあまり失敗しないかも」とつぶやいた。非常に強気な発言のようにも思えたが、その理由を「“できないことはやらない”と決めているから」だと説明する。

「できないことは恥ではないのに、無理をして『できます』と言ってしまう人って多いと思うんです。そもそも無理な約束をしなければ、信頼を損なうこともない。弊社もクライアントから過大評価を受けて、身の丈に合わない依頼をいただくことがあります。評価してもらえるのはとても嬉しいことではありますが、仕事内容は現実的にコントロールしなければなりません。正直さと誠実さを兼ね備えつつ、遠慮しないで“Yes”と“No”を表明するのが、私の信条です」

時代に求められるのは「複数分野のスペシャリスト」

トップランナーであるということは、同時に前を走る人間がいないということでもある。スキルアップとキャリアアップをするために、堀内氏はどんなことを意識しているのか。

「“教えてくれ”というスタンスがまずダメだと思っていて。毎日のように新しい技術が生まれるような、はじまって10年ほどの業界では、わからないことを自分で勉強する姿勢がなければ生き残れません。浅く広くでいいので、いつも業界全体のニュースにアンテナを張っておくといいでしょう。その上で遅延学習、つまり必要になったタイミングで必要になった領域を集中して勉強すると、効率的にスキルを習得できます」

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どんな仕事であれ、ゼネラリストとスペシャリストが対比されることが多い。そして、これまで日本には、1つの分野に特化したスペシャリストが重用される文化があった。堀内氏はこの風潮に対して「どちらがいいという時代は終わり、これからは“複数分野のスペシャリスト”にニーズが集まる」と分析する。具体的には「HTMLとCSSがわかるのではなく、フロントエンドもデータベース構築もサーバーの運用もできるとか、プロジェクトマネジメントができるとかの人材の需要は高い」と言う。堀内氏自身も、幅広い言語を扱うエンジニアでありながら、プロジェクトマネジメントができることで、人材としてのレアリティを上げている。

「プログラミングもプロマネも、誰も教えてくれません。だから何度でも実践します。自分の技術に不安を覚えるのは、その場限りの知識の収集に終止してしまうからではないでしょうか。知識は応用してはじめて意味があるものです。知識に基づいて課題を発見し、解決する能力が身に付けば、“1を聞いて10を知る”みたいに、どんなことにでも応用ができるはずです」

プログラマたちよ、自らを安売りするな。確かな力をつけて、雇用主と交渉しよう

請負制作では労働集約のビジネスモデルになりがちで、実装を担当するプログラマの労働環境はとくにその影響をうけやすい。堀内氏はプログラマを取り巻く現状について、どう思うのか。

「業界全体として見たときに、実際に悪貨が良貨を駆逐するようなことが起きているように思います。つまり、安かろう悪かろうで制作されたものが市場に出回り、全体の値崩れが起きてしまっているんです。でも、“誠実であること”と“自分を安売りすること”はまったく違う。僕は経営者、そしてプログラマとして、クライアントとも代表の小代とも、価格や待遇の交渉を頻繁に行うようにしています」

堀内氏は「エンジニアの多くはあまり交渉しない印象だ」と述べている。これからプログラマ業界全体を改善していくためには、一人ひとりが労働条件の改善を求めて強く交渉していく必要があるだろう。

「交渉するのが200人に1人だから問題になるんです。200人に200人が交渉すれば、環境は劇的に変化するかもしれません。そもそも、社員は会社の奴隷じゃない。仕事の内容に見合った待遇を受けるのが会社との契約なので、納得できなければ交渉するべきです。ただし、交渉をするにはそれなりに準備が必要。雇用主との関係性を損なう可能性もあるので、実際に辞めても潰しが効くようなスキルを持っていること、転職するまで生活に困らない貯金があること、前もって転職先を検討しておくこと……などのバックアップは確保しておくべきですね」

事実だけを見れば、堀内氏のキャリアは「若いうちからリスクをとり続けたからこそ、大きな成果を上げている」ように感じられるだろう。しかし実際に話を聞いてみると、堀内氏の選択は実績に裏打ちされた論理的な“リスクヘッジ”の判断がベースになっていた。同氏は、「優秀なプログラマが報われる会社はまだまだ少数。このようなねじれた状態を是正するために、ユニプロは成長していかなければならない」と意気込む。

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堀内氏がユニプロを通して広めんとする「学生や若手にチャンスを与える文化」と「プログラマがスキルを磨いて交渉する文化」は、少しずつ次の世代にバトンのように渡されていく。このバトンが多くの人に広がっていけば、開発の現場における労働条件の改善だけでなく、やがてはITが媒介するすべてのクリエイティブの価値向上につながるのではないだろうか。

(取材・文/朽木誠一郎、写真/石毛健太郎)

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